前回紹介したように、同志社大学真山ゼミの「提言:南丹市における地域のコミュニティ」では、地域における既存のコミュニティを地縁型組織とテーマ型組織(サークルやNPO)と分類し、地縁型組織は衰退傾向にあり、テーマ型組織は横のつながりが乏しいと分析、新たなコミュニティ機能を担うものとして中間支援型組織が必要になると提言されていた。
中間支援型組織がそれ自体新たなコミュニティであるという観点に関しては、少し疑問がある。組織の構成原理が地縁型組織やテーマ型組織とは明らかに違うからである。そこで、中間支援型組織をコミュニティと言うとすれば、その条件はどのようなものであるかを考えてみた。
中間支援型組織は自治会・サークル・NPOなどの組織をネットワークし、サポートするものである。あくまで民間の組織であるから、原理的に画一的なサービスしか提供できない従来の行政とは異なる、多様なニーズに対応できるというところに特質があるが、それだけでは中間支援型組織を帰属意識を与えることを条件とするコミュニティと呼ぶことはできない。
中間支援型組織をコミュニティと呼ぶためには、「市民」がキーワードになるのではないだろうか。そこに居住しているという意味での形式的な市民ではなく、ポリスの統治者としての市民である。ポリスの市民とは、ギリシャの都市国家で投票権を持って政治に参画し、戦士として共同体の防衛義務を果たした自由民のことである。つまり、ここでは都市国家を分権時代の地方自治体に見立て、その統治者としての市民を、行政依存意識ではなく、また観客意識ではなく、当事者意識を持った存在として見ているのである。
ひとりひとりがポリスの統治者としての市民意識を持ち、わが町に責任を持って活動する。そのような市民が連携して地域を支え、創造する。コミュニティとしての中間支援型組織の構成原理は、そのようなものになるのではないかと思う。中間支援型組織の構成原理をこのような市民意識に置く時、地縁型組織の原理を地方自治体レベルに拡大したものとして捉えられ、中間支援型組織をコミュニティと呼び得る実質を備えたものとして見ることができる。
中間支援型組織は地縁型組織よりも大きな範囲を対象とするため、地縁型組織のような直接民主制ではなく、代議制的な性格も持たざるを得ないと考えられるが、政治や行政との違いは、中間支援型組織の領域が市民が等身大で暮らしている社会や生活の場であるところにある。また、この領域は企業のように利潤や効率を目的としておらず、非営利である。当然、中間支援型組織は行政・政治・企業からは自立していなければならない(それらとパートナーシップという関係は持つ)。
補足しておくと、中間支援型組織が地縁型組織やテーマ型組織を一括的に管理して統合する窮屈な組織になってしまうことは、開かれた自由社会にはふさわしくない。真山ゼミの学生のイメージでも、中間支援型組織はすべての地縁型組織やテーマ型組織を組織化するのではなく、それとは別のルートで活動したり連携したりする組織やグループがあっていいとされていた。さらに、環境問題をはじめとして、現代の市民にはグローバルな課題にも直面しており、自治体レベルを超えた広い視野や当事者意識をも併せ持たなければならないのであるから、その意味でも閉じた共同体意識はふさわしくない。とは言え、ポリスの統治者としての市民意識はやはり必須の条件になると思う。そこはバランスであり、外部に開かれた、多様性を許容するゆるやかな統合性を目指して、コミュニティとしての中間支援型組織を作ればいいのである。
(高坂 大樹)
平成18年2月13日
平成18年2月8日、南丹市国際交流会館で行なわれたまちづくりシンポジウム「園部のコミュニティを考える〜合併後も暮らしやすい地域に必要なものとは〜」に行ってきた。
主催は旧園部町の若手経済人で作る園部未来づくり研究会と同志社大学真山ゼミ。園部未来づくり研究会という地域のNPOと大学の協働として研究・調査を行なってきた成果を学生が発表し、それに関するディスカッションと真山達志教授の講演という構成だった。
学生の発表は「提言:南丹市における地域のコミュニティ」と題し、1月1日から四町が合併して南丹市が成立したことを受けて、今後の地域コミュニティにとって必要なものを提言するというもの。内容を簡単に言うと、既存のコミュニティを地縁型組織とテーマ型組織(サークルやNPO)と分類し、地縁型組織は衰退傾向にあり、テーマ型組織は横のつながりが乏しいと分析、新たなコミュニティとして中間支援型組織が必要になるとの趣旨だった。中間支援型組織は、既存のコミュニティの媒介者の役割を果たすだけではなく、合併による自治体サービスの低下を代替する役割をも担うものであり、また自治体にはできないサービスを提供できるものとして位置付けられていた。南丹市と近い規模の中間支援型組織の実例報告もなされ、興味深かった。
シンポジウムの方向性をひとことで言うと、南丹市にNPOセンターを作ろうということである。ただ、中間支援型組織の形態についてはまだ模索中という感じだった。真山教授は現実主義的な観点から外郭団体型の組織を考えているようにも見えたが、学生たちや園部未来づくり研究会のメンバーの中にはもう少し自立性を持った組織形態を望んでいるようにも感じられた。今後、園部以外の旧三町のステークホルダーとも議論や調整が必要だろう。
中間支援型組織ができて以降も真山ゼミとは協働して行くという話から、同志社の学生を実習を兼ねたスタッフとして供給するという構想があることも窺えたが、これは常に南丹市に新しい風が吹き込まれるという点で面白いと思う。
(高坂 大樹)
平成18年2月9日
いわゆる平成の大合併が最終段階に入りつつある。今回は大合併時代におけるNPOなどの市民セクターの役割について考えてみたい。
京都府の場合、次のような市町村合併が行なわれている。現在進行中のものも含めて、リストアップしてみよう。
平成の大合併の目的は、ひとことで言えば地方自治システムの再編である。これは国・地方の財政状況の悪化、少子高齢化と過疎化による人口減少という状況を受けて、行政改革のために行われているものだ。自治体の広域化によって公務員を削減し、行政を効率化し、税金の無駄遣いを減らして、財政の健全化を目指そうというのである。
国は合併する自治体に対して優遇措置(特例措置)を取り、合併を促進しているが、国の財政再建のために地方交付税を減らすのと見合う形で、地方の自立に必要な権限の委譲や自主財源を拡大させる政策転換は進んでいないようなので、必ずしも地方分権が推進されているとは言えない状況にある。現在、景気は一部では回復しつつあるが、それは東京をはじめとする大都市圏と大企業のことであり、中小企業や地方にとっては未だ景気は低迷しているというのが現状である。そうした状況で、地方分権が行なわれないままに中央の都合のいい形での新自由主義的路線が推進されるならば、地方切り捨てと言わざるを得ない。平成の大合併においても、住民サービスの低下につながることが懸念される。
新しく誕生している自治体にとって必要なことは、分権時代の自治体に相応しい行財政システムの構築であり、市民レベルでは地域住民のまとまりであり、地方自治への住民参加である。国が平成17年3月29日に出した「新地方行革指針」には、
現在、市町村合併が推進され、その規模・能力は急速に拡大しつつあり、これに伴い広域自治体のあり方の見直しが求められるなど、地方公共団体の果たすべき役割が改めて問われている。また、NPO活動等の活発化など公共的サービスの提供は住民自らが担うという認識も広がりつつある。これまで行政が主として提供してきた公共サービスについても、今後は、地域において住民団体をはじめNPOや企業等の多様な主体が提供する多元的な仕組みを整えていく必要がある。これからの地方公共団体は、地域のさまざまな力を結集し、「新しい公共空間」を形成するための戦略本部となり、行政自らが担う役割を重点化していくことが求められている。
とあるが、これは正しい方向付けだろう。
ただし、市民の選択(自己決定)の範囲が拡大するということは、負担も引き受けなければならないということでもある。平成の大合併で自治体が統合しても、厳しい財政状況や少子高齢化の状況には変わりがないのだから、住民は上からの福祉を期待するのではなく、自らが地方自治の担い手にならなければならない。実際、公的サービスを市民セクターが担うという意識が広まりつつあり、個人はNPO活動を、企業は社会貢献活動を行なうという状況が生まれてきている。
冷戦時代のイデオロギー対立が意味を失った現在、かつての批判型民主主義のように市民が行政と敵対する時代ではない。参加型民主主義では「官と民が協力して公を担う」という社会を作ることが求められるし、現に今後ますます行政とNPOのパートナーシップが必要になって行くだろう。ただ、NPOの側としては、本当の意味での行政改革が行なわれずに、行政にとって安手に使える下請けとしてNPOが位置付けられるのではないかという不安があるのもたしかだ。行政と市民が協働して「新しい公共空間」を形成して行くためには、行政は不透明性や官尊民卑の風潮を改め、市民の不信を払拭していく必要がある。また、NPOの方も、行政や企業に政策や企画を提案していく力を身に付けなければならないだろう。
参考文献
市町村自治研究会編集『Q&A市町村合併ハンドブック第3次改訂版』ぎょうせい、平成16年5月刊
(高坂 大樹)
平成17年11月1日
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